ocean law office

MENU

弁護士インタビュー

今回は、山浦誠治弁護士を紹介します。
一人旅が好きで英国留学も経験してきましたが、言語の異なる地での苦労が現在の弁護士活動の礎となっているそうです。
梶田代表弁護士との出会いや仕事へのスタンスなどを話してもらいました。

弁護士山浦 誠治Seiji Yamaura

01.学生から司法試験合格まで

学生時代はどんなことをしていましたか?

バイクが好きでよく乗っていました。250ccや400ccといった中型バイクです。
一人でツーリングすることが多く、土日は山へキャンプに行くなどしていました。
北海道もバイクで回ったことがあります。

弁護士を目指した経緯は?

私は教育学部に在籍していたのですが、少年事件が授業で扱われた時があり、それがきっかけで法律に興味を持つようになりました。
当時は就職氷河期と言われた一方、司法試験の合格者が増えた時期でもあり、自分も司法試験にチャレンジしてみようと思いました。

では、当時は司法試験合格が
大きな目標だったのですね

はい。受験会場が母校だったので、受験に行く度に学生時代を思い出しました。
合格したら海外旅行に行こうと思っており、1ヶ月ほどヨーロッパ圏を周遊しました。

02.弁護士になるまで

合格後のキャリアパスを
教えてください

岐阜県で司法修習を受けました。東京育ちだったので、環境を変えてみたかったのが理由です。
その後、親の実家がある長野県で開業しようと考え、まずは経験を積もうと隣の群馬県で弁護士事務所に就職しました。
群馬県は製造業を営む会社や大手メーカーの工場が多く、東南アジア系の方が多く働いて暮らしていました。
彼らの労働事件や難民事件、また離婚などの案件が多かったですね。
文化や価値観が異なるためか、ご自宅に伺うと日本とは異なるライフスタイルに触れることができたのですが、それら全てが自分にとっては興味深かったですね。

実際の業務としては、どのようなことをされていましたか?

賃金の未払いや不当解雇など、労働事件での相談が多かったです。
大手メーカーの孫請け会社が彼らを雇用するのですが、当時は在留カードもない時代で、日本に来ることも今と比べて規制が緩い反面、雇用する側もいい加減に雇用していた印象が残っています。

※在留カード:中長期在留者に対し,上陸許可や在留資格の変更許可,在留期間の更新許可などの在留に係る許可に伴って交付されるもの

2,3年の実務経験の後、
予定通り長野で開業されたと…

予定は変わってしまうものですね。
弁護士事務所に勤務する一方で、外国人の権利を守る弁護士会に参加していたのですが、そこの中心人物であった弁護士先生から海外留学を勧められまして。。
外国で学ぶのもいいなと思い、ロンドンのロースクールで国際人権法を一年間学んで、LLMという修士号を取りました。
嬉しかった一方、英語には苦労しましたね。
勉強の場面も大変でしたが、イギリス社会では英語が話せないことでちょっと下に見られてしまうとでも言うのでしょうか、複雑な気分を味わいました。
このことは、今の弁護士活動のバックグラウンドになっています。

03.日本に帰国、新たに弁護士活動を展開

ロンドンで修士号を取られた後は?

日本で仕事をしようと思い、2015年に帰国しました。
新しいことをしたいと思って海外へ行ったので、帰国後も新しい環境を望みました。
経済的理由で弁護士に相談できない方に法的サポートを行なう「法テラス」という機関があるのですが、そこで弁護士募集しているのを知り、応募しました。
面接時に「外国人の事件を担当したい」と話したところ、後日になって東京パブリック法律事務所の創設者である弁護士先生から電話をいただいたのです。
法テラスでは外国人案件が全体の1割程度と少ないため、私の希望を聞いた法テラスが紹介してくれたようです。

東京パブリック法律事務所はどんな事務所でしたか?

不法労働、ビザ申請、離婚対応など、本当に外国人案件ばかり扱う事務所でした。
自分のやりたいことと重なったので、入所させてもらい弁護士活動を再開しました。
当事務所の梶田代表弁護士も働いており、ここで知り合いました。

やっとオーシャンとの接点が出てきましたね

お互い外国人案件に関心を持って活動をしており、弁護士としてのスタイルが近いと感じていました。仕事の面でも時折情報交換する間柄でした。
梶田弁護士が独立した後も裁判所等で会うことがあったのですが、その度に「山浦さん、次はどうするの?」と聞かれていました。
時はコロナ禍で、外国人案件数が一時的に落ち着いていたこと、また在籍して5年が経過し次のキャリアを検討していたことから、梶田さんの事務所に行くことにしました。

04.オーシャンでの仕事

オーシャンではどういう案件を扱うことが多いですか?

最近は渉外離婚が多いですね。
冒頭にお話ししましたが、価値観が異なる外国の方の話って興味深いなと思います。
西欧の考え方とアジアのそれはやはり違います。国際結婚って難しいなと思うことも少なくありません。

印象に残っている案件などありますか?

国内の刑事事件も前から扱っているのですが、印象深いというとそちらの案件になります。
外国人のクライアントで、息子さんが強盗致傷で起訴された案件がありました。
クライアントの父親と話すためにご家庭に伺い、私が考える裁判の着地点やシナリオを説明し、法廷での証言も引き受けてくれたのですが、執行猶予が取れずに有罪判決が下ってしまいました。
予想を超えた厳しい判決になり、私にとっても残念でしたが、父親に結果説明した時の辛そうなご様子が忘れられません。
申し訳ないと思うと同時に、何か別のアプローチがあったのか、などすごく考えました。

外国人のクライアントですと、
言葉の壁もありそうですよね

その案件のように近親者の方とコミュニケーション取ることは多いのですが、日本語が堪能とは言えない方々が相談し、頼る相手として弁護士への期待は大きいと思います。
私も英語ができなくて嫌な思いをした経験があるので、相手の方には壁を感じさせないようにし、相手の立場を尊重して接することは肝に銘じています。
そういうスタンスを見ていただいているのか、クライアントからは「山浦は粘り強い、辛抱強い」と言っていただくことがよくあります。自分ではそう思っていないのですが。

弁護士としての自分の特徴としては、
どういうことが挙げられますか?

粘り強い、と似ているかもしれませんが、強いて挙げれば「諦めない」ことですかね。
難しい事件は誰がやっても難しいし、結果も見えてしまうことがありますが、それでも活路を求めて諦めずにやり通す、という考えは大事にしています。
リサーチの仕方もいろいろ考えます。判例だけでは見えてこない部分もあり、視点を変えると新たな関係性が見えてくることもあります。
発想の転換が必要なので、読書やアウトドアの時間も(あまり取れていませんが)大事にしています。

05.今後の展望

オーシャンでは今後、どのようなことに携わっていきたいですか?

梶田弁護士は以前から、訪日外国人の権利をもっと保障するべきであり、そのためにも社会的な働きかけを含めて取り組むことがオーシャンのミッションだと言っておりました。
私も同じ考えで、だからこそオーシャンに来やすいところがありました。
担当する弁護活動に加えて、これから入ってくる弁護士たちがオーシャンを支えるための考え方をアドバイスするのも自分の仕事に思っています。
弁護士個人としてのスキルや成長は事件を通してでないと伸びないですが、オーシャンのスタンスを理解してもらうことで、弁護士としてのマインドを強化すると言ったところでしょうか。

外国人案件を取り扱う上で課題に感じていることはありますか?

外国人が日本で直面している生きづらさって、どういう所にあるのか。
人も様々なので一概に答えは言えませんが、少なくても日本の社会システム自体は外国人にとって不便な点が多く、改善する動きも遅いように思います。
また、公的サービスを提供する側に外国人への理解が乏しいと感じることもあります。
こういうことに気付きながら、彼らの不安を取り除くためのサポートを続けたいと考えています。

現場を見ないとわからない話が多そうです

外国人をサポートするグループは市区町村の機関以外にもいろいろあります。
彼らからの法律相談にもお応えしているのですが、その多くはボランティアであり、お金が入らない状況で活動を続けています。現場状況にも詳しくてすごいなと思う。
入管申請は今でも半日から1日掛かるのですが、これも改善の必要があると感じています。サービスを拡充するにはお金が必要ですが、外国人は参政権がないから国として税金を使うという発想が希薄なのかもしれません。
弁護士はトラブルが見えたときに初めて出番が来る仕事ですが、トラブル前に顕在化している不便や摩擦などを未然化することにも役立ちたい。それで助かる人もいるからです。
どういう取り組みをすれば良いか、日々考えているところです。