ハーグ条約とは
ハーグ条約は、国境を越えた不法な子どもの連れ去りや留置(一方の親の同意を得て一時帰国した後、約束の期限を過ぎても子どもを戻さないこと)をめぐる紛争に対応するために定められた条約です。ハーグ条約では、子どもを元々住んでいた国(常居所地国)に迅速に返還することが目的とされており、そのために必要な裁判手続等が定められています。ハーグ条約の締結国は、2018年8月時点で98か国です。
また、日本では、ハーグ条約を国内で実施するために必要な手続等を定める国内法として、「国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約の実施に関する法律」(ハーグ条約実施法)が制定されています。
ハーグ条約の仕組み(子どもをもともと住んでいた国に返還することが原則)
- ハーグ条約では、国境を越えた子どもの連れ去りは、子どもの利益に反するという考えのもと、子どもを常居所地国に返還することが原則とされています。そのため、裁判所は、子どもの返還の申立てが次のいずれにも該当するときは、子どもの返還を命じなければならないとされています。
- ①子どもが16歳に達していないこと
※返還の申立てがされたのが16歳未満であったとしても、裁判の間に16歳に達してしまった場合には、ハーグ条約の適用はなくなります。
- ②子どもが日本国内にいること
※子どもが海外から日本に連れ去られた後、更に第三国に連れ去られてしまった場合には適用がないと考えられます。
- ③常居所地国の法令によれば、連れ去り・留置が申立人の有する子どもについての監護権を侵害するものであること
※留置の具体例は、母親が子どもとともに日本に里帰りした後、帰国する約束に反してそのまま日本にとどまったような場合が想定されます。
※「監護権」は、ハーグ条約上の概念としてのもので、その有無が判断されることになります。
- ④連れ去り・留置の開始時に、常居所地国が条約締約国であったこと
- ①子どもが16歳に達していないこと
- ハーグ条約では、子どもを常居所地国へ返還するのが原則とされていますが、以下のいずれかに該当する場合には、子どもを返還するのが子どもの利益に反するとの観点から、例外的に返還を拒否できるとされています。
- ①連れ去り・留置から一年を経過した後に返還の申立てがされ、かつ、子どもが新たな環境に適応している場合
- ②申立人が連れ去り・留置開始の時に子どもに対して現実に監護の権利を行使していなかった場合
- ③申立人が事前に同意し、または、事後に承諾したこと
- ④返還によって、子どもの心身に害悪を及ぼしたり、子どもを耐え難い状況に置くこととなる重大な危険がある場合
- ⑤子どもの年齢や発達の程度に照らして子どもの意見を考慮することが適当である場合において、子ども自身が返還を拒んでいる場合
- ⑥子どもを返還することが日本国における人権及び基本的自由の保護に関する基本原則により認められないものである場合
- そのほかに、ハーグ条約実施法では、親子の面会交流の機会を確保するための規定が置かれています。子どもを連れ去られた親が子どもに面会することができない場合には、中央当局に対し、子どもとの面会の機会確保のための援助を求めることができます。
中央当局による支援
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- 1中央当局とは
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ハーグ条約は、締約国に対して「中央当局」を設置することを義務づけており、日本では外務大臣が中央当局とされています。そして、その具体的な実務は、外務省の領事局ハーグ条約室が担っています。
中央当局が担う役割は、大きく分けて次の2つが挙げられます。一つ目は、子どもの迅速な返還を確保するなど条約の目的を達成するため、他の締約国の中央当局と相互に協力することです。もう一つは、国内における権限のある当局の間の協力を促進することです。
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- 2具体的な支援内容
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中央当局であるハーグ条約室が具体的にどのようなことをしてくれるかというと、返還や面会交流に関する申請を受け付けたり、相談に応じたりしてくれるほか、子どもの所在の特定、当事者間の話合いによる解決の促進、翻訳支援(裁判所に提出する資料や申請書の翻訳など)、ハーグ条約に詳しい弁護士の紹介、外国の中央当局との連携などの支援をしてくれます。
どこの裁判所で手続ができるか
ハーグ条約に関する事件は、東京家庭裁判所および大阪家庭裁判所の管轄とされており、それ以外の裁判所に申立てをすることはできません。
審理の方法
裁判の期日は非公開で行われます。当事者双方が証拠等を提出し、場合によっては当事者や関係者の尋問を行うこともあります。
【子の返還申立 審理の流れ】
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- ステップ1
裁判所に子の返還申立をします。
(同時に出国禁止命令、旅券提出命令申立もできます。)
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- ステップ2
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申立から2週間程度後をめどに、第1回期日が指定されます
(裁判所が、当事者双方の主張を聴取します。また、裁判所や中央当局による調査が行われる場合もあります。)※なお、当事者双方の同意があれば、調停や和解による解決を試みることもあります。
調停や和解が不成立となった場合、次のステップ3に進みます。
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- ステップ3
裁判所による返還の許否の判断がなされます。
子どもの出国を防ぐための制度
子どもの返還の申立てをし、その審理が行われているにもかかわらず、結論が出るまでの間に相手方が子どもを日本国外に連れ出すことができてしまっては、返還手続の意味がなくなってしまいます。そこで、ハーグ条約実施法では、手続の間に相手方が子どもを日本国外に連れ出すことを防ぐための制度が設けられています。
具体的には、相手方が子どもを日本国外に連れ出すことを禁止する出国禁止命令の制度、相手方に対して子ども名義のパスポートを外務大臣に提出するよう命じる旅券提出命令の制度が存在します。
子どもの返還の実現方法
家庭裁判所で返還命令が出されたにもかかわらず、相手方が子どもを任意に返還しない場合には、申立人は、家庭裁判所に対して「間接強制」の申立てをすることができます。間接強制とは、相手方に対して制裁金を課すことによって、相手方に対して子どもの返還を促す制度です。子どもの返還がなされない場合には、申立人は、相手方の財産に対して強制執行をすることができます。
この決定が確定した後2週間が経過しても子どもの返還がなされない場合には、申立人は、家庭裁判所に対して、子どもの返還の代替執行の申立てをすることができます。これが認められると、子どもの返還を実施する者(例:申立人)が執行官とともに相手方のもとに出向き、子どもを相手方から解放します。子どもは、返還実施者とともに常居所地国に帰国することになります。
しかし、ハーグ条約実施法では、返還実施者及び執行官は、有形力を行使して子どもを相手方から無理やりに引き離し、常居所地国に返還することは認められていません。つまり、相手方が子の返還を拒絶した場合には、事実上、子を相手方から引き離し、常居所地国に帰国させることはできません。そこで、そのような場合には、人身保護請求の申立てを裁判所に行うことが考えられます。人身保護請求が認められると申立人は、有形力を行使して子を相手方から奪還し、常居所地国に返還させることができます。
(子の返還までの流れ)
- 子の返還命令の申立て
- 間接強制の申立て
- 子の返還の代替執行の申立て
- 人身保護請求の申立て
ハーグ条約実施法の改正
2019年5月、子どもの返還の強制執行手続の実効性を確保するため、ハーグ条約実施法が改正され、2020年4月より施行されました。改正の要点は、以下の3点です。
- 改正前は、間接強制の決定から2週間を経過した後でなければ代替執行を行うことができませんでしたが、改正後は、一定の条件の下で間接強制を経ずに代替執行を行うことが可能となりました。
- 改正前は、子どもが相手方と一緒にいる場合に限って解放実施を行うことが可能とされていましたが、改正後は、子どもが相手方と一緒にいない場合であっても解放実施をおこなうことができるものとされました。
- 改正前は、第三者の占有場所で代替執行を行う場合には、当該場所の占有者の同意が必要とされていましたが、改正後は、執行の場所が子どもの住居である場合には、裁判所の許可があれば、当該場所の占有者の同意がなくても、代替執行を行うことが可能となりました。
ミラー・オーダー
ある国(A国)の裁判所が命令を出した後に当事者がA国から他の国(B国)に転居した場合に、A国の裁判所の命令と同一の内容の命令を求めてB国の裁判所に裁判の申立てをすることがあります。この場合にB国の裁判所が出す命令をミラー・オーダーといいます。この命令は、A国の命令を鏡のように引き写した内容の命令であることから、このように呼ばれています。
日本ではミラー・オーダーという制度は存在しませんが、外国裁判所の出した命令と同一の内容の権利・義務関係を日本国内でも成立させるため、調停の申立てをして調停調書を作成するということが考えられます。
ハーグ条約実施法の制定にともない、日本でもこのようなミラー・オーダー取得の要請が増えることが予想されます。
解決事例
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- Case 1(子の返還請求が認められた事例)
- 事案
相談者は、A国の国籍の女性です。同じ国の男性と結婚し、一緒にB国で生活をしておりました。男性との間には子がいましたが、次第に不仲となり、B国で離婚の裁判が進行中でした。その最中に男性は相談者の同意なく、子を連れて日本に帰国しました。そこで、女性は、子の返還を求めて、当事務所に相談に来られました。
- 解決方法
依頼を受けた後、当事務所の弁護士は速やかに裁判所に対して子の返還の申立てをしました。男性は、B国において、相談者による子に対するDVがあったなどとして返還を拒否しましたが、最終的には、相談者の主張が裁判所に認められて、子の返還を認める旨の決定が下されました。
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- Case 2(子の不返還と離婚が認められた事例)
- 事案
相談者は、日本国籍の女性Xです。A国籍の男性Yと結婚し、子ZもA国で出生し、A国で3人一緒に生活していました。しかし、結婚してしばらくすると、YがXに暴力を振るうようになり、子が大きくなっても、子の面前でXに暴力を振るっていました。
XはYの暴力に耐えかねて、Yの承諾なしに、Zを連れて日本に帰国しました。Xは、日本帰国後、YからA国に戻ってくるように連絡を受けていましたが、今後日本で生活すると伝え、A国に帰国しませんでした。XとZが日本に帰国し、Yに今後日本で生活すると伝えてから1年後、Xは東京家庭裁判所から、子の連れ去りに関するハーグ条約に基づき、Yが子ZをA国に返還することを求める申立書を受け取りました。 - 解決方法
申立書には、約2週間後に東京家庭裁判所で第1回目の裁判期日を開くので、出頭するように書いてありました。
子の連れ去りに基づくハーグ条約(国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約)により、A国の中央当局による援助決定がされた後、Yは東京家庭裁判所にZの子の返還を申立てしたようです。
このようなハーグ条約に基づく子の返還を求める裁判の場合、東京家庭裁判所では、第1回目の裁判期日を変更することを原則として認めていません。そこで、Xは第1回目の裁判の期日に出頭できる弁護士を探す必要がありましたが、当事務所の弁護士は日程が空いていたので、Xからこの事件を複数の弁護士で受任しました。
そして、当事務所の弁護士らがXから聞き取りしたところ、XがYに対し、Zとともに日本で生活すると伝えてから1年が経過しており、Zが日本の小学校に通学しているので、ハーグ条約実施法の子の返還を拒否できる事由に該当することが分かりました。また、Yが子Zの面前でXに暴力を振るっていたことから、子を返還することによって、子の心身に害悪を及ぼすという点で、子の返還拒否事由に該当すると思われました。
そこで、当事務所の弁護士らは、第1回期日までに、XがYに対して送った今後日本で生活するメッセージ、YがXに対してDVを行っていたことを示すA国の病院の診断書、Zの日本での小学校での様子についてZの担任教諭から聞き取りした陳述書を準備し、答弁書を提出しました。
東京家庭裁判所における第1回期日の裁判後、裁判官から当事者双方に対して、子ZのA国への返還を認めない方向での和解協議をするように話がありました。その後、XとYの双方が東京家庭裁判所での調停を重ね、第1回期日から2週間後、子ZのA国への不返還のほか、XとYが離婚することとZとYの面会交流の方法を定めて、裁判が終わりました。